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社会のしつけ [ナツ旅]

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<CONTAX Aria/Carl Zeiss Planar T* 50mm F1.4/AGFA ULTRA100>

親が子供の目線にまで腰を降ろして、目を見ながら同等の位置で話すことは大事、
とよく見聞きする。家には子供がいないのでよくわからないけど、
きっとそれってとても大事なことなのだろうと思う。

でも社会に出ると、会社と会社のバランスがおかしくてWin-Winであることを目指す(当たり前ではない)が
これは企業間の取り引きに関することが多い。
しかし、社会にはWin-Loseも起きている。それは仕事に対する業務の流れで発生する
ケースが多いように個人的には思う。

上司からの政治的を理由にした一方的な指示、日本語英訳を無理やりなスケジュールで押し込む、
WEBページ製作に自分では思いつかないのに、人の企画にはダメを出すだけで代替案を出さないとか。

下流の人間は、安い賃金で土日も潰して成果物を提供し、上流は当たり前のように受け取る。
そこには金銭のやり取りが発生しており、クライアントと下請けの関係性が生まれるからだ。
一緒に悩み、一緒に考え、一緒につくるような、業務圏共産主義は生まれないのだろうか。
誰かの無理な依頼は、誰かの無理で補われることが、当初美化されていたが、
あまりにも多すぎて、当然のようになり、アンフェアな状態が続いている。

こんな負の連鎖を切るのは誰か。それは下流の人間にはできない。
すでにそういう負け癖根性が根付いており、それを前提として各社下流会社はしのぎを削る。
目的を達成するために、実は目線を下げてあげなければいけないのは上流の会社であり、
そこで働く人である。余裕を持ったスケジュール、妥当な取引金額、お互いの経緯、
中途半端なデリゲートは行わず、任せるところはまかせ、失敗したら責任を取る。

誰もが責任を取るのが怖くて、踏み出せないけど、まずはその相手の会社の
目線に立ってあげることだ。今、僕は工程の下流にいる。それまでは上流にいた。
上流、下流が悪いのではなく、流れている水は同じなのだ。
ただ、上流にあるダムが下流に水を流すときに警報を鳴らすように、
下の人たちへの影響をちゃんと考えてあげて仕事をすることは、姿勢だけでも大分変わると思う。
水は下から上にはよほどのことがない限り上がらない。
上がるときは余程の天変地異だ。
そうなるまえに、上流の人たちは、川全体をしっかりみて、下流の仕事を下流の目線で見てあげること。
こんな単純なことが世の中を変える一つの手段なんじゃないかと思う。
(まぁ、自分の所属している組織や役職で、自分が偉くなったと思っている人はたくさんいるけど、
それはまた別のお話)

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